Facebookのスマートリストが本当の友達を呼び戻す
このゲスト寄稿の著者、Joe GreenはCausesのファウンダー・社長である。Causesは、社会活動のための最大のオンラインプラットフォームであり、初期Facebookアプリケーションの一つでもある。Greenのオンラインツール開発のアプローチは、彼のオフラインでの国、州、地方選挙の草の根運動における経験に基づいている。情報開示:GreenはFacebookの初期のアドバイザーであり、少数株を保有している。
Facebookが最近追加した友達リスト機能は、同サービスにとってアプリケーションプラットフォーム以来、もしかしたらニュースフィード以来の、重大な変更である。これによってFacebookは、〈その人が誰で、どう他の人とつながっているか〉を真に表現するサービスとして、また他を大きく引き離した。しかしこれは、ただ有用なだけではない ― Facebookはソーシャルグラフの一貫性を保つために、これを提供する必要があったのである。
なぜこれがそれほど重要なのかを理解するために、Facebookの歴史をひもといてみよう。
Facebookアプリの多くが持つ伝染性(加えて、Facebook自身の急成長)を考えると、初期のFacebookがどれほど慎重に拡大をコントロールしていたかを聞いて驚くかもしれない。Facebookは入念にその成長を遅らせていた。.eduのメールアドレスを必須とし、他大学のユーザーを友達にすることを許さなかった ― このため、既存のコミュニティーから新しいコミュニティーへのバイラル的成長は直接的には不可能だった。
このサービスを定義づける特徴は、真のアイデンティティーだった。実名、顔写真、本当の友達。私が経営するCauseを拡大する過程で、しばしば私はFacebookをよく知らない人たち向けの講演を頼まれた。私は、Facebookで一番大切なことは、インターネットを「リアル」にしたことだと話した。かつてはネット上ではハンドル名を使い、USENETグループの友達には、BobaFett12として話していた。アイデンティティーは、インターネット有史以来、至高の目標であり、AOLのMagic CarpetやMicrosoft Passportなど、主要企業による大規模な取り組みも失敗に終っている。アイデンティティーが、クラウドソースのモデルから生まれることなど誰も期待していなかった。
数年後、Facebookで最も賛否両論を呼んだ動きである、大学以外への進出が実施された。人々は心配した。「自分たちのFacebook」が侵されるのではないか、ウェブの他の場所のような無法地帯になるのではないか。有難いことに、facebookはこの変遷の中でもサイトの品位を保つべく良い仕事をし、実名、実在人物に関しても(大部分が)維持された。
しかし、その最大の努力にもかかわらず、友達グラフの品位は薄まってきた。これは避けられないことだ。たとえ実生活で知っている友達だけを、facebook友達にするという方針を持っていたとしても、必然的に新しい人たちとの出会いが続き、二度と会うことのない人でも友達を解除することはめったにない。その結果、Facebook上の友達は次第に増え続け、その大半が遠い知り合いになっていく。この問題に対する殆どのメディアの反応はプライバシーに関するものだ ― 親しくない友達や、上司には情報を伝えたくない。
しかし、コンテンツを誰に見られたくないかは、問題の半分でしかない ― 同じくらい重要なのは、誰が〈見る〉かである。長大な友達リストは、親友のコンツンツの多くを見逃し、もし自分が何か重要なことを送っても、見てくれたかどうかわからないことを意味している。例えば、CausesにはBirthday Wishという人気の機能があるが、ユーザーからは、親友が気付かなかったために寄付しなかったという苦情がよく来る(嫌いだったからかもしれないが)。
Facebookは、この問題を解決するためにいくつか重要な取り組みを行った。最初が友達リストだったが、目立って表に出ることはなく、Facebookはこれをユーザーのために作ったり、目立たせることに消極的だった。最近ではグループ機能を再出発させて、友人間のコミュニケーション問題を解決しようとした。新しいグループは以前に比べて大きく改善され、少数グループのコミュニケーションに非常に便利だ。しかし、対称的に定義する必要があるため、親友問題の解決には恐らくあまり有効ではない。
そして新しいスマートリストがついに核心をついた。これでFacebookは、自動的効率的にリストを作りつつ、ユーザーに気味悪く感じさせないという課題を克服した。学校や会社の同僚といった客観的基準が存在する時には自動的にリストを生成する。最も重要なリストである「親しい友達」については、メンバーが書き込むたびに通知が来る、など特別なパワーを与えて、ユーザーがリストを使う動機付けをしている。さらには、誰を親しい友達リストに加えるべきかを提案する不気味なほどよくできた機能があり、クリック数回で実に簡単にリストを作れる。
Google+がスタートした時に、多くの機能の中でもサークルが最も話題になったのは当然だ。しかし、Facebookのバージョンの方が2つの面で優れている。第一に、誰をどのリストに入れるかを自動的に提案することで、はるかに簡単に作れる。第二に、親しい友達リストには明確な基準があるため、デベロッパーがこのリストを活用できる。Google+のサークルは、デベロッパーにとっては単なる文字列だ。Googleにも同じことは可能であり、やるべきだ。ユーザーにアドレス帳からサークルを作らせ、Gmailや電話の利用状況に基づいて提案すればよい。
Facebookにとってこれらの変更は歴史に残るものだ。ユーザーは親しい友達たけをターゲットできることで、これまで以上に、これまでとは全く異なる種類のコンテンツを共有するようになる。そしてフィードがもっと面白くなれば、ユーザーはもっと頻繁にFacebookをチェックするようになる。デベロッパーにとってもこれは画期的だ。いよいよこれで「役に立つアプリケーション」が可能になる。過去4年間、大きく広まったアプリの殆どは、バイラルな経路を通じて広まったもので、そこから大量のコミュニケーションが生まれてきた。しかし友達リストがあれば、デベロッパーはもっとターゲットを絞り込み、ずっと少ないメッセージと高いコンバージョンレートによってトラフィックを獲得できる。これは誰にとって良いことだ。私は、いずれFacebookプラットフォームが、新しいカテゴリーの企業グループを定義することを期待している。ゲームに対してそうしたように。
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(翻訳:Nob Takahashi)