关于夫妻不同姓(上)
中国は夫婦別姓だ。選択制ではなく、原則、別姓。けれど家や家族の結びつきは日本よりずっと強い。どうしてだろう?
中国的夫妻不同姓。这不是一种选择制度,而是一种原则。虽然是这样,中国家庭的内部联系却比日本家庭要紧密得多。这是为什么呢?
そういえば、紅楼夢などを読むと、登場人物の夫婦の名前は姓が別々だ。昔から別姓だったのだなと思う。
这样说来,在读《红楼梦》的时候,也会发现里面登场的夫妻的姓是不相同的。这不禁让人想到,自古以来中国就实行着夫妻不同姓的制度。
ウィキペディア
の夫婦別姓の項目では中国や韓国の姓について次のように解説されている。
在维基百科的夫妻不同姓的项目中,对中国和韩国的姓氏问题有着如下的解说。
中国人、韓国人などのファミリーネームは「姓」であり、「氏」では無い。両者は社会通念上は、ほぼ同義として用いられているが、その性質は異なる。姓は男系の先祖をあらわすものであり、当然、結婚したからと言って、自分の先祖が変わるわけでは無いので結婚後も自分の先祖の名前を名乗り続ける。むしろ姓をファミリーネームとして用いている民族の間では夫婦別姓が自然である。一方、日本人の苗字である氏はその家の名前である。よって先祖が誰であるかは問題ではなく、どの家の一員になったかが問題であるので、結婚や養子縁組などで苗字が変更されるのはむしろ自然である。
对于中国人、韩国人等来说,“姓氏”指的就是“姓”,而非“氏”。虽然这两者在社会一般概念上有着几乎相同的意思,但其实性质并不相同。“姓”所代表的是男性的祖先,当然,即使是在婚后,由于自己的祖先并没有改变,所以结婚之后也仍然用祖先传下来的姓氏。倒不如说在把“姓”当做“姓氏”来使用的民族里,夫妻不同姓是非常自然的一件事。而另一方面,日本人的姓氏是指其家族的名字。因此自己的祖先是谁并不是问题的关键,关键在于自己成为了哪个家庭中的一名成员。也正因为如此,随着结婚或者建立收养关系等而改变自己的姓氏,被看做是非常自然的事情。
つまり、中国の姓はその人の出自の家を示し、日本の氏は今現在どの家の所属であるかということを示す。出自の所属(姓)というのは、境遇が変化しても変わらないが、現在自分が所属する家(氏)と言うのは婚姻などによって変わる。
简言之,中国的姓表示的是那个人出身在哪个家庭,而日本的姓氏表示的人那个人现在属于哪个家庭的成员。一个人的出身家庭是不会随着这个人的境遇变化而变化的,而基于一个人所属的家庭的姓氏则会随着婚姻等而产生变化。
時々訪れるブログがある。ものの見方や考え方が自分と似ていて、共感することが多い。たいていは、同感同感、と思いながら読む。ところが先日、そのブログで夫婦別姓が取り上げられていて、めずらしく記事の主旨に賛同できなかった。(記事はこちら[外部リンク]。)それで、ああ、この感覚の違いはきっと男女の差なんだろうな、と思った。
有个博客我经常会去浏览。博主对事情的观点和想法经常和我不谋而合,常常会产生共鸣。总是一边想着“同感同感”一边阅读他的文章。而就在前几天,博主写了一篇关于夫妻不同姓的文章,很罕有地,我无法赞同那篇记事的思想。也因此而让我想到,这种感觉的差异一定是基于男女的性别差异而产生的。
現行の法律では男性の姓を選ばなければならないとは規定されてない、女性の姓を選んでもいいのだから、決して男女不平等とは言えまい、それに女性が結婚して姓が変わったからといって仕事上特に支障をきたすとも思えない、逆にひとつの家族の中で姓が異なることによって不便が生じることの方が多い、子供の問題も然り。…と、だいたいこのような主旨であった。
现在的法律并没有规定一定要选择男方的姓氏,选择女方的姓氏也是可以的,因此这种制度决对不能说是男女不平等,再加上即使女性在结婚之后改变了自己的姓氏,也不会对工作造成特别大的阻碍,与此相比,一个家庭里面姓氏不统一而带来的麻烦反而更大,对孩子的问题来说也是如此…… 以上大概就是那篇文章的主旨。
夫婦同姓で何の不便もないし男女不平等でもなんでもないじゃないか、と当然至極のように思う男性と、結婚の際に姓が変わることによって大なり小なり意識の変革をせまられる女性と、そこに性差による温度差を感じずにはいられない。
夫妻同姓并不会带来什么不便,也不会造成男女不平等。抱着这种当然至极的想法的男性,和随着自己的婚姻而改变姓氏,因此而被迫地或多或少地改变着自己的思维想法的女性之间,使人无法不感觉到存在着的温度感的差异。
そう思っていたら、27日の朝日新聞に興味深い投書を見つけた。38歳の主婦の投書である。全文を引用する。
说到这里,我在27号的朝日新闻里发现了一则值得玩味的投稿。这是来自一位38岁的家庭主妇的投稿。下面引用投稿的全文。
夫婦別姓を選ぶことができる民法改正案が来年の通常国会に提出されそうです。私は、なぜ今、法律を変えようとするのか分かりません。私は結婚、離婚、そして再婚をしました。今は三つ目の名字です。名字が変わる度に職場やプライベートで新しい姓を名乗り、皆さんに理解してもらってきました。
听说明年通常过会将会提出关于“允许选择夫妻不同姓”的民法改正案。我并不知道为什么要在现在改变这项法律。我曾经历过结婚和离婚,现在已经再婚了。我现在用的已经是第三个姓氏。每次改变姓氏,无论在职场上还是私人场合都要向别人说出自己新的姓,但是大家都很理解我。
ただ、心配は小学校高学年だった子どもたちでした。離婚後、前夫の名字のままにしました。再婚の時、親の都合で新たな名字を名乗らせるかどうかを悩みました。「新しい名字に抵抗はあるの」と尋ねると、「家族だから同じ名字がいい」でした。子どもたちにとっても、名字が家族の証しなんだな、と思い知らされました。
但我担心的却是自己那在读小学高年级的孩子。离婚之后,他还是继续用着前夫的姓氏。等到再婚的时候,我一度在烦恼,是否要让他迁就父母双方而使用新的姓氏。当我问他“对新的姓氏有抵触感吗?”时,他回答“都已经是一家人了,还是用一样的姓氏比较好。”。这是我才明白,就算是对于小孩子来说,姓氏也是作为一家人的证明。
夫婦別姓になれば、子どもの名字は結婚時に決めておくようです。でも、家族同姓という一世紀余続いた良き日本文化を崩してしまうことはありませんか。じっくり議論してもらいたいと思います。
如果夫妻不同姓的话,就需要在结婚的时候确定小孩子的姓氏。但是,一家人同姓这种持续了一个世纪之久的优良的日本文化难道不会因此而被破坏吗?在这一点上,希望社会可以更加谨慎地考虑。
うーん、これを読んで、考え込んでしまった。
嗯…看完了这篇记事,我不禁陷入了沉思。
まず、私から見ると、結婚、離婚、再婚によってその度に姓が変わる不便さを思うと、生まれながらの姓を一貫して持ち続けるほうがよっぱど楽で便利なんじゃないかと思う。しかし、投書の女性はその部分を、「皆さんに理解してもらってきた」と、名字の変化があっても社会がちゃんと受け入れてくれるから問題ないと言っている。
首先,从我的角度来看,随着结婚、离婚、再婚,每次都要更换姓氏而带来极大不方便,而与此相对,自出生开始就沿用同一个姓氏,不是既轻松又方便吗?但是,在记事里面这位女士对这方面的问题所持的态度是“大家都很理解我”,即就算改变姓氏,也会被社会所接受,所以并没有什么问题。
子どもの問題にしても、合理的に(と私が思う)考えれば、親の都合によって名字がころころ変わるよりも、何があっても“僕の名前”は生まれたときからずっと同じだ、というほうが気分的に楽なんじゃないかと思う。
从孩子的角度来考虑,从合理性上(我所认为的)来考虑,比起因为要迁就父母而一二再,再而三地改变自己的姓氏,无论发生什么事情,“我的名字”是随着我的出生开始就一直跟着我,这种情形不是更让心情轻松舒畅吗?
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